ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス

Ludwig-van-Beethoven Gospel in Classical

宗教曲と名前のつくものの中で、ソロなりコーラスなり人声を使うものは数限りない。そもそも音楽の黎明期から宗教曲は音楽そのものであり、音楽といえばイコール神への讃美であった。教会の一部隊であった楽士の集まりがルネッサンス楽派という一派を作り、そのルネッサンス楽派がバッハに代表されるバロック音楽へと発展していった経緯を考えてみても、教会と音楽の深いつながりが分かる。従って、神への讃美および主の伝道のために言葉にメロディをつけ歌声と変えることは至極当然なことだったといえる。
その宗教曲自体もこれまた多種多様なジャンルに分かれている。受難曲、カンタータ、オラトリオ、モテット、レクイエム、ミサ曲等々。この中で特に「ミサ曲」だけは、他のジャンルが多少なりとも演奏効果あるいは技術の高さを目標としているのと違い、純粋にキリスト教の礼拝(主にカソリック)と直結しているという意味で注目に値する。
ミサ曲の作曲はいうに及ばず多くの音楽家が手がけてきた。その中でも特にベートーヴェンが1823年に完成させた「ミサ・ソレムニス」(「荘厳ミサ曲」)は古今東西のミサ曲の最高傑作といって過言でない。その崇高さ、歌詞に則した音楽の美しさ、名前が示すとおりの宇宙的広がり、オーケストラと独唱陣・合唱が織り成す演奏効果・・・、どこをとっても非の打ち所のない作品となっている。
筆者は上で、演奏効果をねらわないのがミサ曲ということを書いた。しかしこのミサ・ソレムニスは演奏効果抜群である。どういうことかといえば、ベートーヴェンは特に演奏効果をねらってこの曲を書いたわけではなかったが、大オーケストラをバックに肉声を響かせることは彼の得意分野であったし、また彼の音楽はそうすることによって引き立った。つまり演奏効果を「ねらった」のではなく「持つべくして持ってしまった」というのが本当のところである。
これは一般的にあまり論じられないことであるが、筆者はここにベートーヴェンの偉大さがあると思う。元来、それほど壮麗な曲想を持っていなかったミサ曲に荘厳さを持たせたのである。例えば、バロック時代以前には合奏団の腕試しでしかなかった交響曲というジャンルに理論性をもたせ一大ジャンルに仕立て上げたハイドンのように、あるいはツェルニーの時代にはピアノ練習以外の目的を全く持っていなかった練習曲(エチュード)に高貴な芸術性とテクニックを持たせたショパンのように、ベートーヴェンは高い効果と技術をこの曲にふんだんに盛り込んだのである。そうすることにより奏者にも聴き手にもミサ曲の楽しさ、さらにはキリスト信仰の素晴らしさを知らしめるということを意識してかしないでか、ベートーヴェンはやってのけたのである。
曲は大きく6つの部分に分かれる。導入部「キリエ」は荘厳かつ憐れみ深くキリストへの呼びかけが行なわれ、続く「グローリア」ではその言葉通り主への素直な讃美が力強く歌われる。フーガなどの対位法を立体的に駆使した「クレド」は一番聴きごたえがある。“目に見えるものと見えざるもの(visibilium omnium et invisibilium)”という歌詞の”invisibilium”の部分で音量を落とすなど視覚的な効果もねらっている。再び壮大な「サンクトゥス」、ソロの混声が美しい「ベネディクトゥス」を経て「アニュス・デイ」で人類の永遠の平和を神に乞い願う。合唱部で歌われる“平和を、平和を(pacem, pacem)”の繰返しがとても印象的な終結部である。
なおこの曲はソロとコーラスを伴うオーケストラ曲という外見の他、ニ音を基調としているところ、トロンボーンなどの楽器の扱い方、そしてベートーヴェン自身の心からなる神への讃美を表現しているところ等、交響曲第9番「合唱付き」との類似性があり、二曲はベートーヴェンの双生児とも見てとれる。

おすすめCD

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1966年録音版)

録音曲数および回数の多さで知られるカラヤンだが、「ミサ・ソレムニス」に関しては合計3回録音している。筆者が推すのはその最初のレコーディングである上のCDである。比較的若い頃のカラヤンはスポーティで芯のある演奏をしたので聴き方によっては少し固めの演奏に感じるかもしれないが、1962年から翌年にかけてのベルリン・フィルを指揮してのベートーヴェン交響曲全曲録音という一大プロジェクトを成功させた直後の演奏だけに、まずは聴者を納得させる演奏となっている。第9の録音で歌ったヤノヴィッツ(ソプラノ)とベリー(バス)をそのまま起用しており、歌手陣の響きも非常に充実している。
他にカラヤンの演奏では、1974年版と1985年版があり、後者が素晴らしい演奏である。こちらは細部にとらわれない、とてもダイナミックでおおらかな演奏になっていて、「ミサ・ソレ」の荘厳さを満喫できる一枚である。
他にもこの曲を得意にしている指揮者は多く、古いところではワルター,ベーム,メンゲルベルクあたりが熱い演奏でいいかもしれない。最近の録音ではシャイー,レヴァイン,バーンスタイン,それに先ごろ一周忌を迎えたG・シノーポリなどもいい演奏を残している。特にバーンスタインは合唱の扱いが意外に上手く、「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の部分では歌詞に則した微妙なニュアンスを出している。一方、シノーポリの演奏はオーケストラの響きがとにかくすさまじい。

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団
リッカルド・シャイー指揮フィルハーモニア管弦楽団

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