アルカンジェロ・コレッリ:合奏協奏曲第8番「クリスマス協奏曲」

Arcangelo Corelli Gospel in Classical

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第1楽章 ヴィヴァーチェ――グラーヴェ
聖夜の雰囲気を現わす厳格な和音をもって始まる。始めの6小節にはヴィヴァーチェ(活発に)の指定があるが、活発に演奏するのはソロ・ヴァイオリンのアドリブだけなので、むしろ重々しく聴こえる。この幕明けを聴いただけでもクリスマス・イヴにふさわしい気分になることができる。引き続きグラーヴェ(荘重に)の部分となり、聖夜の神秘的さ重々しさはますます高まり、長調の和音をもってアレグロへ移行する。

第2楽章 アレグロ
こんどは急速な楽章である。チェロの細かい伴奏のうえにヴァイオリンがでて、他の楽器も混ざり厚みを増す、という形が2小節ごとにくり返される。いそがしい速度ではあるが聖夜の感じを失っていないところが素晴らしい。

第3楽章 アダージオ――アレグロ――アダージオ
おだやかな分散和音のメロディを2台のヴァイオリンが半小節づつ分担する。ほっとひと息つくような部分である。しばらくすると、短いアレグロの部分がやってくる。ゆらゆら揺れるような曲想でなんともいえずおだやかである。次第に音量を増していき、熱い和音でこの部分が終わると短い間奏をはさんでまた始めの分散和音がやってくる。こんどは始めの部分よりもいっそう表情豊かになり、ソロ・ヴァイオリンやリピエーノ(合奏部)がそれぞれにクリスマスの情緒を描きだす。

第4楽章 ヴィヴァーチェ
ヴァイオリンが桧舞台をつとめる。トリル(ひとつの音を震えるように弾く奏法)の混ざった特徴のあるメロディは、短調にもかかわらずクリスマスを喜ぶ人々を描きまた同時に聴者の心をうきうきさせるものである。

第5楽章 アレグロ
前楽章を受けて喜びは最高潮に達する。ここでも2台のヴァイオリンが跳ねまわるような陽気さで特徴あるメロディを奏する。ソロとリピエーノが交互に活発なフレーズを演奏して最終楽章へとなだれこむ。

第6楽章 パストラール
これまでの5つの楽章をすべて包容してしまうようなゆったりとした楽章である。それもそのはずで、5楽章までがクリスマスの雰囲気をもりあげるための楽章だったとすれば、パストラールという音楽用語を使ったこの楽章は直接クリスマスに通じるものだからである。つまり、このパストラール楽章こそがこの第8番協奏曲を「クリスマス」の音楽たらしめているのである。

パストラールは直訳すれば「田園風の曲」、いわば広野で羊飼いたちがピッフェロ,カソール,ランデ・ヴァッシュといった笛を静かに吹き鳴らしている風景を描く。これは、キリスト降誕の際に羊飼いたちが野原で羊の番をしながら笛を吹いていたという聖書の記述に基くもので、宗教曲にはよく挿入される。その曲想は、チェロやコントラバスが低音域で引きずるように鳴らし続ける空虚5度(ド-ソの和音)や空虚8度(オクターヴ和音)で広野のイメージを作り上げ、そのうえで笛の音を倣したヴァイオリンが緩やかなメロディを奏でるものである。

この楽章もまたヴァイオリンの平和なメロディで始まる。途中、リピエーノが熱いメロディを演奏したり、ソロにテクニカルな部分が現われたりするが決して激しくはならず、結局は静かな風景が全体を支配する。そして、キリストの降誕によってすべてのものが調和を保たれ、永遠の平和が約束されるのを現わすかのように静かに静かにこの曲を閉じるのである。

なお、ここでは便宜的に6つの楽章を追ってきたが、この時代の協奏曲については、楽章同士の「対比」を楽しむよりはむしろ全体がどのような起伏で作られているかとみたほうがわかりやすい。したがって楽章という概念ではなく「ヴィヴァーチェ」「アダージオ」などの指定用語ごとにとらえたほうが趣旨に沿うということをひとこと添えておく。

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イ・ムジチ合奏団[フィリップス]

イ・ムジチ合奏団は、日本では「四季」人気の火付け役として有名である。彼らの演奏によるこの曲のレコードはミリオンセラーとなった。そしてその人気は現在でも衰えていないというのだから、すごいの一言につきる。

したがってイ・ムジチといえば「四季」と連想しがちだが「クリスマス」もなかなかいける。

彼らのすごさは日本ではいま一つ誤解されているような気がしてならない。まったく隙のないアンサンブルで「四季」を演奏するのがすごいのではなく、どのような曲を演奏してもその曲に負けることなく彼らのテクニックで演奏しきってしまう、つまりイ・ムジチ流に曲を生まれ変わらせるところがすごいのである。「クリスマス」冒頭、全合奏のヴィヴァーチェに続いてグラーヴェになるが、この移り際に違和感があると曲全体に影響が出てしまう。イ・ムジチの場合、この部分からしてすでに見事で、ヴィヴァーチェをソロ・ヴァイオリンのアドリブなしで力強く演奏しておいて、そのヴィヴァーチェからわきあがってきたような重々しいグラーヴェに入っていく。その充実感たるや、まるでデューラーの大宗教画を鑑賞しているような気分にさせてくれるものである。この幕明け然り、第4楽章のヴィヴァーチェ然り、パストラール然りで、2台のソロとリピエーノが場面に応じて歩調をあわせ、競奏し、掛けあい、対話するのである。それに加えてイ・ムジチが先天的にそなえている明るく厚みのある音色がこの曲にぴったりである。

なお、冒頭や第3楽章のアレグロからアダージオに戻る際、リピエーノの合間にソロ・ヴァイオリンがアドリヴを披露する演奏方法もあるが、イ・ムジチの場合はアドリヴをいっさい排している。これなどは、スコアの最初にコレッリみずからが「全体的に装飾をほどこす演奏を禁じる」と書いているのを忠実に守ろうとしたのだろう。彼らがコレッリの作品をいかに大事に思っているかがよくわかる。

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