ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」(K.165)

Wolfgang Amadeus Mozart Gospel in Classical

バッハやベートーヴェンとならんでクラシック音楽界ではよく知られているモーツァルト。彼の人気にはものすごいものがある。200年前の人物にもかかわらずいまだにその魅力のとりこにされる人は多い。14年前に没後200年をむかえ世界中で再認識がおこなわれたようだが、各メディアも「今、さらにモーツァルト」などとキャッチフレーズをつけてその人気にますます火がついた感があった。また、その親しみやすさからモーツァルトにつけられたニックネームは生前から数多い。思いつくだけでも「ミューズの子」「神童」「音楽の申し子」など枚挙にいとまがない。父レオポルトの手ほどきがあったとはいえ、今でいう幼稚園児のころもうすでに作曲をはじめ、35年の短い生涯のうちに600曲以上の傑作を残したのだからやはり天才である。数々のニックネームがつけられて当然と思われる。
読者のかたがたはモーツァルトという名前を聞くとどのような顔を思い描かれるだろうか。おおかたの人は、あの耳の少しうえのあたりで栗毛色の髪の毛が巻きあがっていて、いかにも罪のなさそうな大きな目をくりくりっとさせた童顔を思いだされるだろう。この顔のイメージはモーツァルトの音楽とよく一致している。彼の曲は、私たち聴き手の耳にとてもなじみやすいものというか、音楽というものは日常生活から切りはなせないものだと教えてくれるというか、すこし固く表現すれば、人間が本来心の底で生理的に心地いいと感じる音楽を作曲してくれたのがモーツァルトだと思う。だから彼の曲の場合、クラシック音楽のなかでとても厳格な地位を確立している反面、いつでもどこでも楽しく聴けるという印象もある。筆者自身は元来、音楽を聴くときはプレーヤーの前で目を閉じて腕組みをしながら鑑賞するタイプの人間なのであるが、以前からモーツァルトの曲だけは不思議なことに他のことをしながら「流す」ことができる。
このようなことを考えあわせると、前に書いた「ミューズの子」などというニックネームがさらに親しみをまして私たちの心に響く。べつにニックネームを分析したからといってなにが明らかになるということもないのだが、例えば逆の意味で同時代のベートーヴェンにつけられた「楽聖」も彼の性格をよくあらわしている。ベートーヴェンの曲はいずれの曲も推敲に推敲をかさねて作られた燃焼度の高い曲なので、クラシック界では彼の存在自体も神格化してしまい、周囲を睥睨(へいげい)し他の者をそのまわりにひれふさせる「音楽の聖人」となった。それに対してモーツァルトの場合は、推敲をかさねたというよりは情感が思わず口をついてでてきたような曲であるがために、その印象はなごやかで愛らしいものである。彼のメロディは多くの場合分散和音から発生していて、しかも人声をともなわない器楽曲にいたるまでカンタービレ(歌唱)の要素がふんだんに盛りこまれている。だからミューズの「子」だの神の「童」だの、愛らしい印象がつきまとうのである。
氷山の一角にすぎないが、交響曲第41番「ジュピター」,クラリネット協奏曲,歌劇「フィガロの結婚」、これが筆者の3大モーツァルトである。この3曲に関してはだれがどう評価しようとどこからなにが攻めてこようとその傑作性は決して揺るがないものだと思う。それぞれの曲に秘められた気高さと音楽の構築性と充実感は本当にすばらしい。と書かせていただいたところで、すこしおもしろいことを考えついた。気高く構築性のある傑作はひとまず置いておいて、ではいかにもモーツァルトらしくなごやかで愛らしい作品はなにかということを考えてみると、うえの3曲は意外にもあてはまらないような気がしてくる。いろいろと考えをめぐらせると、「ハフナー」交響曲,「アイネ・クライネ」,「戴冠式」協奏曲,フルート協奏曲,ホルン協奏曲,ピアノ・ソナタ第11番第1楽章,歌劇にいたっては「フィガロ」よりも、子どものころの夢ものがたりを思いださせてくれる「魔笛」、ここらあたりが、いかにもモーツァルトらしい愛らしさを感じさせる曲である。
なぜこのようなことを書いているかというと、今回とりあげる曲が大傑作などと固くるしく呼ぶよりは、気軽に親しめてしかも聴く人すべてを幸せな気分にさせるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」(K.165)だからである。アレグロ―レシタティーフ―アンダンテ―アレグロとつづくこの曲は、モーツァルトの時代にはすでに明確な定義がなくなっていた「モテット」という音楽形式のなかに協奏曲のような急-緩-急の形を持ちこんだ曲である。気軽で楽しい名作だが輪郭がきちっとしているため、作曲当時から聴きごたえのある曲として知られている。
さてここで、その成りたちがわからないと話が進まないので「モテット」という音楽形式についてできるだけ簡潔にふれておく。この形式は、数多い音楽形式のなかでももっとも古い時代に定義づけられたもののうちのひとつで、その起源を聖暦1200年くらいにまでさかのぼることができる。
みなさんはグレゴリオ聖歌という音楽をご存知だろう。カトリック教会で発生した音楽で、ラテン語による讃美の歌詞にグレゴリオ音階という独特の音階もつメロディを付し、和音も伴奏もつけず一本の線のように歌う美しい合唱聖歌である。この長く歌い継がれてきたグレゴリオ聖歌の歴史にあるとき変化がおこった。聖歌を単にそれだけで歌うことに飽き足りず、そのメロディに対旋律をつけて歌う(具体的にいえば、既存の聖歌のメロディを土台にし、それよりも高い音域のメロディを聖歌と同時に歌う)ことを思いついた音楽家がいた。このような作曲法,合唱法が「モテット」である。――何百年も前の古い事がらを漫然と考証していると年代感覚が麻痺してくるので、ここでとりあえずバロック音楽の大御所バッハが生まれた1685年(17世紀終盤)を中心に話を進める。――1200年ころのことだから、バッハのおよそ500年ほど前に「モテット」は考えだされた。そしてこの音楽形式はその後おおきな変貌をとげることになる。
まず、それまでは宗教色にばかり色づけされていた歌詞に、自然の情感や社会の教訓をくわえたものが登場する。俗っぽい内容のわけだから当然メロディにも艶やかさがくわわり、旋律も複雑になった。一方、宗教的なものの研究も進む。宗教色は濃いものの以前よりもずっと表情豊かでグレゴリオ聖歌ほどお高くとまっていない、それでいて人々を信仰に導くような高度な作曲技術のモテットが登場する。どちらもバッハの2~300年前のことである。この時代の代表的な作曲家にはジョスカン・デ・プレがいて、今日でもよく演奏される3和音,4和音のすぐれた作品が彼によって発表された。このころがモテットの最盛期とみていい。
このジョスカン・デ・プレの後を継ぐようにして名をあげたのが本名ピエールイージ、通称パレストリーナといわれる大作曲家、またこの少し後輩のラッススなどである(バッハの150年ほど前)。パレストリーナはモテットにそれまでにはないイタリア音楽的な明るさをもたせ、また和音を拡大した人で、250をこえる曲を発表した。またラッススにいたっては、モテットの歌詞を、主流だったラテン語からドイツ語やフランス語にあらためる実験をした人で、こちらは1200曲を残している。
さてバッハもまた数こそ多くないが「新しい歌を主に向かって歌え」「聖霊はお助けになる」のような傑作モテットを残している。バッハのモテットの特徴は、ドイツ語の発音とその言葉の意味するところに音符が有機的にからみつき、かつ曲によっては6パート,7パートと拡大された和音がバッハお得意のオルガンのような響きになっているところである。気づいてみればこのバッハのモテットの響きはもうすでに、グレゴリオ聖歌に対旋律をつけて歌うといった初期のモテットからは想像もつかないような大合唱団による重厚壮大なものとなっていた。このように17世紀末には「モテット」というジャンルの境界線はますます広がり、同時に定義があいまいになっていき、カンタータやミサ曲、あるいはマニフィカトなど、同じく合唱を主体とする他の形式と区別がしにくくなってきた。これがモテットの宿命であった。
以上、多少長くなったが中世からバッハまでモテットの成りたちを考証した。余談になるが、このモテットはモーツァルト以降ますます定義があいまいになり、また他のジャンル(交響曲など)に人気が分散したことも原因となって、作曲家自身がこの分野に目を向けなくなったため衰退していくことになる。もちろん現代にいたるまでブルックナーやブラームスなど多くの音楽家が無数のモテットを発表してはいるが、ジョスカン・デ・プレ,バッハ,モーツァルトの作品にならぶような傑作がでてきていないことから見ても、モテットの作曲はすでに「今は昔」となってしまったようだ。
かくして寵児モーツァルト(バッハのほぼ100年後)の時代になるわけだが、約600年ちかくにわたって研究され改良されてきたモテットに、モーツァルトはさらに自分なりのニュアンスをくわえようと試みた。そして、時代の流れから見ればもうすでにいじくりまわされている(表現はよくないが)モテットをモーツァルトは自分なりに咀嚼(そしゃく)し、持ち前の才能と機知で他の作曲家にはまねのできないようなモテットに仕立てあげた。そのおおまかな特徴をあげると、人声に合奏群の伴奏をつけて響きを艶やかなものとした。また今回のK.165では合唱ではなくソプラノ・ソロを起用している。そして何よりの特徴が、宗教観にとらわれない曲想である。歌詞こそ伝統的なラテン語の讃美を採用しているものの、先輩たちのモテットのように、また自身のミサ曲やレクィエムのように、教会内での実用的な讃美曲としてではなく、もっと一般的なコンサートを想定した曲想となっている。しかしそういうことをしたとなると、ただでさえなにを指してそう呼ぶのかわからなくなっていたこの名ばかりの形式をさらにモテットとは呼べなくしたのではないか、という意見が飛ぶかもしれない。また作曲当時、実際に飛んだという。ところがこれがそうではなく、よく聴いてみればなるほどやはり「モテット」以外の肩書きはありえないと思わせる曲としてできあがったところがなによりの魅力なのである。いわば彼にしか作りえない「モーツァルトのモテット」である。彼はこの肩書きで2曲を残した。実際に聴いてみるとよくわかるが、モーツァルトはモテットを先輩たちよりさらに広域的にとらえたうえで、宗教色にいろどられてはいるがもっともっと庶民的で近づき固さのないオーケストラ伴奏つきの声楽曲、といった感覚で作曲していたにちがいない。後年、マーラーが「さすらう若人の歌」「子どもの魔法の角笛」など数曲のオーケストラ伴奏リートを残したが、モーツァルトもむしろこれに近いところで作曲をすすめ、便宜的に「モテット」としたと思われる。
さてそれはともかく話を戻すと、「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」はモーツァルトの愛らしい一面をよく表す佳作である。ソプラノ・ソロを起用し、オーケストラの華やかな伴奏のうえにまるでオペラのようなコロラトゥーラをころころと聴かせる。そして、ソプラノと楽器群がお互いの魅力を存分に発揮し「競奏」しているようにも聴こえるところ、協奏曲の基本的な形である急-緩-急という構成をとっているところ、また途中ソプラノの技巧的なカデンツァがあるところ、これらをあわせて考えると、この曲はソプラノ・ソロを独奏楽器とみなしたひとつの協奏曲といったような印象が強い。特にフィナーレの「アレルヤ」楽章では歌手とオーケストラが華やかな技巧を展開し、「喜び」という言葉以外には形容詞が見あたらないほどの愉悦感をふりまく。ちなみに、はじめのところでモーツァルトの気高く構築性のある傑作とそれに対するなごやかで愛らしい作品ということを書いたが、2曲のモテットがまさにそれぞれに相当する。今回のK.165が後者に属するとすれば、前者に属する気高い大傑作は「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)である。時間的には5分に満たない小品であるが、この曲のなかには、救い主キリストの生涯がもののみごとに凝縮されている。彼の最後の作品「レクィエム」(K.626)が自身の生命(さだめ)のために完成されなかった白鳥の歌だとすれば、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は完成された白鳥の歌である。今回はK.165のほうをとりあげるが、両モテットともになんど聴いても飽きのこない名曲なので、2曲とも楽しんでいただきたい。
なお、成りたちのところで書いたとおり、なにぶんにもカトリック教会で生まれた音楽であるがために「モテット」という名が冠された時点でもうその曲は聖母マリア讃歌であることが多い。讃美曲として見たとき、マリアから生まれたイエス・キリストこそが三位一体の神とするプロテスタント教会の信仰は一線を画していることを付けくわえておく。

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