フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ:交響曲第5番「宗教改革」

Gospel in Classical

Felix Mendelssohn

2005年4月3日(日本時間)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。時を移さずかなりの早さで新法王ベネディクト16世が選出された。いずれのニュースもまたたくまに全世界に報道され、カトリック教徒はもとより関係者以外の人々もバチカンに注目することの多い4月であった。記事になっていたとおり、これまでの264代法王は世界平和に多大な貢献をし、また他宗教との交流に尽力した「空飛ぶ聖座」といわれる偉大な御仁だったようで、死去のニュースもかなり大々的だったような気がする。またそれにともない、ヨハネ・パウロ2世の経歴などもさることながら、歴代の法王やコンクラーベといった私たちがふだんあまり耳にしないようなことまでが話題にのぼり、今回の一連の法王死去のニュースはカトリック教会およびバチカン市国を知るよい機会となった。
筆者自身はプロテスタント系の信者ということもあって、これまでカトリック教会についての知識はないにひとしかったし興味もあまりなかった。しかしながら信仰が異なるとはいえ、やはり巨大な組織の頂点に位置しているかたが亡くなるということは少なからずショックだし、またその組織に興味もわくものである。これまでプロテスタント教会しか知らなかったのだが、新聞で説明されている範囲のことを知っただけでも、おなじキリスト者としてカトリックの信仰には驚きと感心の連続だった。ひと口で表現すると、ながい歴史とおおきなヒエラルキーをほこっているところは、これだけの組織はまたとないと思わせるようである。一途統率で人の集団を形作るうえでの理想像といってもいいのではないだろうか。
今回はまたカトリック教会から分裂したプロテスタントの分岐点を勉強するいい機会ともなった。もともと理想的な形を築いていたローマ・カトリックは、理想的であるがために分離独立という悲劇をまねいてしまったようだ。筆者はキリスト教史の専門家ではないのでめったなことはいえないのだが、やはり縦方向に統率のとれた集団は外壁が強固なだけに内側のフラストレーションが積もっているようにも思われる。結果、往々にして内乱がおこり、ときとして一触即発のような事態にもなりかねない。まあ内乱,一触即発などという言葉を使ってしまうとなにか戦争のようで穏やかではないが、キリスト教の宗派分裂というものもそのような状況下でおこるように見える。歴史家のなかには、プロテスタントのおこりはローマ・カトリック教会の堕落に反発しておこったというかたもいらっしゃるようだが、当時のローマ・カトリックにしても筋のとおった信仰はもっていたわけで、堕落への反発というよりは権威や聖典への考えかたの違いからおこったという論が正しいだろう。そもそも宗教というものは教祖の下でひとつにまとまるのが当然と思われるのだが、人間個人々々の解釈や個性を尊重もしなければいけないので、悲しいかなそちらに比重をおくと意見の食い違いによって分裂がおこるのもしかたのないことなのかもしれない。ローマの東西教会分裂やロシアなどの東方正教会の誕生も結局は信者の考えの違いからおこったことだし、歴史上有名なマルティン・ルターがおこした宗教改革もイエスが望んだことではなく人がなした乱行、まさしく天災ならぬ人災といえるのではないだろうか。
多分に個人的な偏見が入ってしまうし、再度、私は専門家ではないのでカトリックや宗教改革についてはこのくらいにしておくが、さて作曲家にも熱心なキリスト教徒は多い。なかでもプロテスタント教徒の代表格のようにいわれているのがメンデルスゾーンである。そもそもメンデルスゾーン一家は先祖からプロテスタントの信仰をもっていた。その信仰がフェリックスにも受け継がれ、自身は先天的に心の奥底に根づくその信仰をもとにして音楽家生活を送ったわけである。
父親が銀行マンというお金持ちの家に生まれ、やさしい母親や兄弟のいる環境にそだち、もち前の音楽の素質を名教師に磨かれ、作曲の才能をたくさんの人々に買われたメンデルスゾーン。典型的な「温室そだち」の人物でもある。おなじ敬虔なキリスト教徒の作曲家と比べてみても、耳の病気や失恋などの逆境に耐え続けたベートーヴェンのような人生でもなければ、音楽仲間にいじめられつづけたブルックナーのような人生とも違う。したがって大オーケストラの咆哮によって「圧倒的な迫力」とか「壮大な世界」を作りだす音楽ではないが、そのかわり「平和で気品のある音楽」を作ることに自分の個性を見いだした。その数々が今もって多くのファンの支持を得ているところはやはりさすがである。とくに旋律の美しさという点では抜群のものがあり、有名なヴァイオリン協奏曲をはじめ耳を奪われるような作品が多くある。作曲家のなかには天性のメロディメーカーがいるが、彼もまちがいなくその一員に入るだろう。
また彼はそのおいたちが幸運だったこともあって、早熟な作曲家でもあった。たとえば有名な「真夏の夜の夢」という劇音楽がある。彼がこれを完成させたのは壮年期の34歳のころだが、そのなかの「序曲」を作曲したのが青年時代の17歳のときのこと。17年後、あらためて作曲することになる劇中の名曲12曲に負けず劣らずの序曲をずっと以前に作曲していたことになる。
交響曲のジャンルにいたってはその例がなお秀でている。彼が第1番の交響曲を発表したのが15歳のことだが、メンデルスゾーンの場合、この第1番というのは楽譜が印刷発表された1番目の交響曲ということであって、交響曲の作曲自体は習作という形でそれよりも3年ほど前から十数曲おこなっていたというのだからやはり早熟である。しかも、交響曲というジャンルはベートーヴェンによってクラシック音楽のなかの大分野として位置づけられてしまって以降、それを作るにあたって作曲家にものすごいプレッシャーを感じさせるものになってしまった。それにもかかわらず12歳そこそこの少年がまともに交響曲を作曲していたことを考えると感心してしまう。
再び個人的なことになって恐縮だが、このメンデルスゾーンの交響曲第1番は筆者にとって思い出ぶかい一曲である。といっても古い思い出ではなくつい最近の思い出で、今月5月6日、ふだんあまり聴かないFM放送の「ミュージックプラザ」という番組を聴いていると、ちょうどこの曲をとりあげていた。クラシック界でもあまり有名でないこの第1番は筆者も聴いたことがなく、「ちょうど第5番を書いている最中だし偶然でおもしろそうだ」ぐらいのかるい気持ちで耳をかたむけてみると、これが管弦楽の充実した名曲だった。彼の曲は優美で品格をもつものが多い。もちろんこの曲もそういった面はあるのだが、そこに重々しさと緊張感が加わり、ベートーヴェンと肩をならべるとまではいかないにしても、それに順ずるくらいのレベルに据えおいてもいいという印象を受けた。さっそくCDを買おうとしたのだがこの曲単独では店頭にみつからず、3枚組からなる「1~5番全集」としてしか販売されていないのが残念であった。
それはそうと、この信仰の作曲家であり名旋律の作曲家であり早熟の作曲家であるメンデルスゾーンの才能が発揮された作品に交響曲第5番「宗教改革」がある。この交響曲は彼が20歳をすこしすぎたころの作品で、「第5番」となっているが「第1番」の次に完成された。実はメンデルスゾーンは、この2・3年前の18歳ころから作曲家としてひとつの目標をもっていた。1830年におこなわれるであろう、マルティン・ルターの宗教改革300年記念祭にぜひとも新作を発表しようと思っていたのである。自分が20歳をむかえるその同時期に記念祭がおこなわれるということで、きっとなにか大曲を作りたいと血気に満ちていたのだろう。記念祭なのだからともかく祝典的でなければならない。宗教改革またはルターを感じさせるような何かをも盛り込ませなければならない。そしていちばん肝心なことが、これを聴く人に宗教的感動を与えなければならない。こんな意気込みで作曲をすすめた。
まず彼はドイツの教会で古くから歌われている「ドレスデン・アーメン」を借用することを思いついた(ドレスデン・アーメンとは、17世紀ドレスデンの教会の礼拝で歌われはじめた「アーメン」という言葉のみによる3小節の合唱曲である。現行の日本基督教団発行「讃美歌」の567番にのっている)。この旋律を彼は第1楽章のところどころに登場させ、提示したあと展開させる「主題」としてではなく、まったく形を変化させずに、なにか精神的な信仰の支えになるような「ライト・モティーフ」として用いた。
次に彼は、マルティン・ルターに敬意を表してか、ルターが1529年に作曲した讃美歌「神はわがやぐら」を借用した(この曲も「讃美歌」に267番としてのっている)。――過去の音楽を借用してばかりいるようにみえるが、大切なのは借用した旋律を自曲にどのようにいかすかである――これは第3楽章から終楽章に移るとき絹糸のような崇高さで現われ、そのまま終楽章のライト・モティーフとなる。
あわせて、メンデルスゾーンはお得意の名旋律を曲のいたるところで高貴な音色につつんで盛り込んだ。第1楽章冒頭,第3楽章,第4楽章の展開部。そして結末の力強さ。できあがった作品は記念祭を祝い、人々を信仰に導くのにふさわしい大曲となった。だたメンデルスゾーンがここまで心血をそそいだにもかかわらず、肝心の記念祭のほうは当時彼が住んでいたベルリン市が不景気だったところへもってきてカトリックからの抗議などもあり中止されてしまった。それからというものメンデルスゾーンはこの曲の初演を希望してあちこちのオーケストラをかけまわった。結局、第5番が日の目をみたのは2年後の1832年のことだった。このような名曲をたずさえ、初演のためにあちこちかけまわったメンデルスゾーンはさぞ無念だったに違いない。
(なお、冒頭ローマ法王についてふれたが、法王のニュースにヒントを得て今回「宗教改革」を取りあげるのではないことを一応書き添えておく。この連載第12回目でメンデルスゾーンを取りあげることは2年も前から決めていたことであり、執筆しているところへちょうど法王死去のニュースが入ってきたのでそれを関連づけただけである。)
メンデルスゾーンの交響曲については順番がかなりまちまちになっている。13歳前後にかなり集中して作曲した、本来はシンフォニア(小交響曲)と呼ばれるべきと思われる「弦楽のための交響曲」12曲に楽譜出版社が番号をつけなかったのがそもそも混乱の原因なのだろうが、音楽的構成がはじめてがっちりした第1番の次に完成したのが第5番、以下第4番「イタリア」、第2番「讃歌」、第3番「スコットランド」と続く。このように作曲年代順にみてみると、ベートーヴェンの第9を意識しすぎて交響曲とカンタータのあいの子のようになってしまった第2番は例外として、やはり後ろにいくにしたがって充実してくる。その傑作群のはしりが今回の第5番なわけである。若きメンデルスゾーンの出世作、そしてプロテスタント作曲家としての信仰の現れであるこの作品には彼の性格のすべてがつまった名曲といえる。


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