ハムナプトラ/失われた砂漠の都(THE MUMMY)

MUMMY Gospel in Movies

このハムナプトラは3千年前に処刑されたイムホテップのミイラが甦る話で、聖書とは全く関係ないのですが聖書から話を取り入れた箇所があります。それは、「ホムダイ」によって処せられたものが甦るとエジプトに10の災いを起すという言い伝えです。ハムナプトラでは墓から解き放たれたイムホテップが完全に甦ろうとするとき災いが次々と起こりますが、この災いが旧約聖書「出エジプト記」からの引用です。

この災いについて説明する前に、少し聖書の話をします。聖書は大きく2つの文書群、「旧約」と「新約」に分かれます。インディー・ジョーンズハムナプトラも旧約から「ネタ」を持ってきていますが、何故、旧約からなのでしょうか?聖書は世界のベストセラーですが、イエスが登場する新約は大抵はキリスト教国でしか読まれません。それでも何十カ国をカヴァーできるのですが、旧約は、キリスト教以外のユダヤ教、イスラム教の人々にも共通の書物となっています。ざっくりと説明すると、旧約聖書(トーラーと呼んでいます。)だけを信じて旧約の神(メシヤ)の再臨を望んでいるのがユダヤ教で、旧約の教えの上に預言者マホメッドの啓示によって書かれたコーランを経典としたものが、イスラム教です。

従って、旧約からの話であればキリスト教国以外でも受け入れられる可能性が高いので旧約からの引用が多いと思うのですが、いかがでしょう。

さて、本題に入りますが、「10の災い」は聖書では、「十戒」で有名なモーセがエジプトの地で奴隷として虐待されていたイスラエルの人々をエジプトから去らせるようにファラオ(エジプトの王)と交渉したのですが決裂した為ファラオに圧力をかけるべくイスラエルの神がエジプトに起した災いのことです。聖書から一部を引用してみましょう。

出エジプト記7章14~21節:
主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない。
明朝、ファラオのところへ行きなさい。彼は水辺に下りて来る。あなたは蛇になったあの杖を手に持ち、ナイル川の岸辺に立って、彼を待ち受け、彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主がわたしをあなたのもとに遣わして、『わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ』と命じられたのに、あなたは今に至るまで聞き入れない。
主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と
見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。
川の魚は死に、川は悪臭を放つ。エジプト人はナイル川の水を飲むのを嫌がるようになる。」主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。

この水が血に変わる災いはハムナプトラでは、酒をリックたちが飲んでいて、突然飲んでいた酒を吹き出す場面です。

この後、蛙が群がり王宮や家臣を襲う「蛙の災い」「ぶよの災い」「あぶの災い」と次々と災いを起しますがファラオが拒否し続けた為、最後のイスラエルの人々以外の人、家畜のすべての初子が打たれるという災いのあとようやくファラオはイスラエルの人々の脱出を許可するのです。

ちなみにハムナプトラでは最後の災いは「皮膚病の災い」になていましたが、聖書では「はれ物の災い(出エジプト記9章8節~12節)」に相当するものと思われます。

追記:2012年この作品がリメークされるようですが、この災いのエピソードがまた使われるのかどうか興味深いところです。

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