2001年宇宙の旅

Gospel in Movies

2001: A Space Odyssey

SFのカテゴリーにとどまらず、すべてのジャンルを通じても屈指の名作、「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」がどのようにGospel的なのか。映画は今ではDVD でも観れますし、関連本、ネット上のサイトも数限りなくありますので細かいところまでいくらでも調べることができます。しかし、宗教との関わりについてはほとんど触れていませんし、キューブリックも宗教とは関係ないと言っていたようです。

古くなりますが2000年にバチカン(ローマ法王庁)が推薦した映画のリストがあります。残念ながら推薦理由はわかりません。バチカンのサイトを覗いてみたのですが、この年以降映画の推薦をした記録はなさそうです。ベスト10は下記の通りです。

1:シンドラーのリスト
2:奇跡の丘
3:ライフ・イズ・ビューティフル
4:モダンタイムス
5:ナザレのイエス
6:ベン・ハー
7:わが命つきるとも
8:2001年宇宙の旅
9:8 1/2
10:山猫

堂々8位にランクされているのが「2001年宇宙の旅」です。

映画が始まると最初に登場するのは未来都市でもなければ宇宙船でもない 300万年前の地球です。人類の祖先とされている人猿(ひとざる)が登場します。そしてこの人猿が宇宙からやってきた謎の直方体モノリスによって道具を使うことを覚え、文明を手に入れることになります。このシーンだけで20分を費やしています。今日の文明は、人間自らが生み出したものでなく超人的な第三者、この場合はモノリスという宇宙人の道具が人間に文明をもたらせたことを示すことによって、「神」を描こうとしたのではないかと思うのです。もちろん、モノリスは神ではありません。しかし、人類の起源後何百万年(それ以上かもしれませんが、私の考えは違うので後述します※)にも渡って、人類を監視?というより観ていたとういうところが、モノリスと神の相似している点だと思えるのです。聖書では神は自分の存在を

出エジプト記:3章14節
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

と言っています。この「わたしはある」英語では「I AM who I AM 」ですが、つまり存在そのものが神なのです。イエスの誕生以降だけでみても2000年。キリスト教に影響された科学、芸術、音楽等はいくらでもあります。

モノリスは、人猿に道具の使い方を教え、木星(アーサー・C・クラークの書いた原作は土星)に行かせます。両者は勿論異なるものです。決定的な違いは、モノリスは何も創造していないとういところです。神は、

創世記:1章1節
1:1 初めに、神は天地を創造された。

とあるようにこの世そのものをお造りになっています。

2001年」はすでに10 年以上前のことになりますが、現実はキューブリックとクラークが描いた宇宙旅行はおろか人類はやっと月に到着したのみで、以降、「宇宙開拓」は遅々として進んでいません。おそらくバチカンがこの映画を推薦したのは、人類がいくら進歩しても計り知れない宇宙が2001年宇宙の旅」には描かれているからだと思います。このことにより絶対に近づけない神の偉大さが浮き彫りにされているからではないでしょうか。(かなり独断です)

もう一度、人類の起源や存在、宇宙の奥深さを考えるのに「2001年宇宙の旅」をご覧になるのは如何でしょうか?

※私は、宇宙や地球の成り立ちが何億年という長い時間によって創られてきたという考えには与しません。やはり創造主たる神がお造りになられたと思うのです。そして人類の起源も、何百万年などという途方もない時間ではなくアダムとエバの誕生は数千年前だと思います。(簡単にいえば進化論よりも創造論を支持するということです。)


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