フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ:交響曲第5番「宗教改革」

Felix Mendelssohn Gospel in Classical

♪ 鑑賞time ―――――
第1楽章
宗教行事を祝うための交響曲の冒頭楽章だけに、さまざまな要素が盛り込まれている。まずはじめに曲全体の雰囲気を象徴するような教会音階によるゆったりとした静かな上昇音形が弦楽器でだされる。動機(最初の2小節)が「ミ」と「シ」をぬいた、いわゆる無調音階になっているため、教会音楽を思いおこさせる。この部分を聴いているだけで神を目の前にしたかのような崇高な気分になる。この上昇音形を演奏しながら音楽が次第々々にふくらんでいき、木管楽器、つづいて金管楽器がff(フォルティッシモ)でオルガンのように持続音を鳴らす。はたと金管楽器がとまり、ヴァイオリンの高音域に今度はpp(ピアニッシモ)でこれまた崇高なメロディがだされる。この崇高なメロディこそが「ドレスデン・アーメン」で、このメロディはまったく形を変えずにのちにも現れる。神を目の前にしたときに思わずアーメン唱えてしまったような雰囲気である。ffの金管とppの「アーメン」が今いちど繰りかえされる
ここまでが序奏の部分である。「アーメン」がすでにこれ単独ですばらしいものなので主題として扱わないのがもったいないような気もするが、メンデルスゾーンはこれを第1主題というよりも、もっとおおきな意味をもつライト・モティーフとして使うわけである。
それはともかく2度目の「アーメン」が静かに終了すると、ここではじめて第1主題が全合奏で力いっぱいだされる。行進曲にも聴こえる決然としたニ短調の主題で、序奏部分のようなメロディックなものではない。キリストの生涯を象徴するかのようなものである。なんと表現してよいものか、たとえていうなればさすらいの曲といったイメージである。そしてこの主題のリズミックな付点音符はあとの楽章でも大切な役割をする。この雰囲気がしばらくつづき、今度は短調と長調が微妙に入れかわる第2主題が登場するが、こちらは目立たないので気づかない人も多いと思うしそれほど大切な主題とはいえない。展開部に入っても両方の主題が展開されるが、あの第1主題のリズムがいくどとなく繰りかえされる。すばらしい展開部のあと、一般的には第1主題がもとの形で再現されるのがふつうだが、なんとここで「ドレスデン・アーメン」が三たび現れる。そのあと第1主題が今度は弱音でだされ再現部に入る。最後は徐々に盛りあがり、ティンパニーの連打を加えて力強くこの楽章を閉じる。
終わってみればここでは「ドレスデン・アーメン」と第1主題のからみが絶妙であったことに気づく。前者はなんといっても信仰者の崇高ないのりの姿、後者はキリストの十字架を感じさせる。ここでおぼえておきたいのが、あくまでも主題ではなく序の役割しかないはずの「ドレスデン・アーメン」にメンデルスゾーンが重要な意味をもたせているところである。こんなことはベートーヴェンの時代には考えられなかったことだが、そのすぐあとのシューベルトあたりから作曲の技法として用いられはじめた。メンデルスゾーンにとってはよき先輩格であったそのシューベルトがこの技法を用いて「未完成」や「グレート」といった大傑作を作曲していた(もっとも初演されたのはかなりのちの話だが)ことを考えると、メンデルスゾーンがこの影響を受けなかったと考えるほうが不自然であり、この技法を自分のものにしようと「宗教改革」に用いたのである。しかもこの技法は彼の信仰心とむすびつき、曲のなかであたかも心のよりどころのように「アーメン」が帰ってくるように作曲したわけである。そして聴き手の私たちの頭にはキリストの姿がみえかくれする結果となる。
こういったモティーフの扱いかたは後輩のブルックナーに受け継がれ、3主題制の交響曲へと発展する。なお、ドレスデン・アーメンを「ライト・モティーフ」と表現したが、この言葉はふつうワーグナーの楽劇などに使われるもので、メンデルスゾーンの曲には使わない。ふさわしい文言が見当たらなかったのでこう表現させていただいた。

第2楽章
前楽章で作りあげたキリストの十字架を思いおこさせる信仰の世界を受けるべき当楽章は、スケルツォによる現世の喜びの楽章として作曲された。しかし惜しいことに、両楽章の楽想はあまりにも食い違ってしまっている。メンデルスゾーンにしてみれば「宗教改革」自体出世作だから手法が熟していなかった、しかたがなかったといえばいえるのだが、発表が多少記念祭に間にあわなくても(結局は中止だったんだし!)実力者なのだからもうすこし練ればもっと傑作となったはずである。要するに第1・3・4楽章が天上の世界に思いをはせているのだから、第2楽章でも視点を天上におくべきだったと筆者は考える。ただそうはいうものの、メンデルスゾーンにどのようなふかい思惑があったのかわからないし、またこの第2楽章は単独の曲としてみればやはり傑作なので、ここは独自で味わってもいいのかもしれない。
曲はスケルツォ主題をもとにトリオ(中間部)をはさむ3部形式になっている。木管楽器による、なんともかわいらしい飛びはねるような主題は、記念祭がおこなわれるときのうきうきする気分と考えればいいだろう。前半の下降部分はフルートで、後半の上昇部分はオーボエで奏される。この主題がさまざまな表情で演奏されひとしきり喜んだあと、オーボエによるトリオの主題がだされる。ここではチェロによる熱い歌も聴かれる。スケルツォ主題が再び戻ってきてこの楽章は終わる。聴いているだけでうれしさが込みあげてくる音楽である。
この楽章のなかに第1楽章との関連をあえてみつけようとするならば、主題のなかにふくまれている付点しかないであろう。すなわち他楽章にはふんだんに盛り込まれている宗教的な香りがここではまったく感じられない。曲自体がすばらしいだけに残念である。

第3楽章
ふかいいのりの楽章である。形式としては一応二部形式になっているが、息のながいゆっくりとしたテンポで進められるうえに明確な輪郭をもたないために、あえて形にはとらわれず雰囲気だけ味わえばじゅうぶんである。ヴァイオリンで演奏される瞑想するようなメロディが主題で、「ドミソド」という上昇音形の分散和音をふくんでいるところがまたなんとも魅力的である。他の楽器を伴奏にしてヴァイオリンが「いのり」を演奏しつづける。時間的には短く、聴き手にいのりの気持ちをおこさせる役に徹している。したがってこの楽章は最終楽章への「序」なのである。いちど感情のうねりが押し寄せたあと次第にはじめの静寂がおとずれ、最後はト短調の和音が徐々に消えていこうとするなかに、神の光が差すようにト長調の「神はわがやぐら」がフルートで奏されはじめる。

第4楽章
前楽章から切れ目をおかずに入る。そのフルートのすんだ音色とルターのメロディがマッチし、音楽的に見ても演出効果抜群である。この部分を聴くたび筆者は、厳粛な面もちで弟子たちが見守るなか、復活なったキリストが栄光の光につつまれながら昇天していく姿を思い浮かべる。このメロディも最初はフルートのソロで奏されるが、木管楽器の数をふやし、なかほどでは弦楽器も加わって、最後はティンパニーの連打をともなう大合奏へと発展する。
さて、第1楽章とおなじくここまでが序奏である。したがって「神はわがやぐら」は第1楽章の「ドレスデン・アーメン」とおなじくライト・モティーフである。この楽章の第1主題は全合奏でだされる行進曲のような勇壮なもので、楽器がもっともよく鳴るニ長調の「ドミソドミソ」という上昇分散和音を特徴としているので、いちど聴いたら忘れられない。第3楽章以降、静かな雰囲気がつづいていたこともあり気分がとても晴れやかになる。記念祭をおおいに盛りあげるメロディとしてメンデルスゾーンの頭のなかに湧いたのだろう。ややあって、つづく第2主題はティンパニーのリズムが特徴的なフルートによるこれまた勇壮なものでこれも非常にわかりやすい。そしてこの主題でも第1楽章の付点リズムが効いている。この2つの主題でひとしきりにぎやいだあと、突然、心のよりどころのようにルターのメロディが静かに、しかし熱くだされる。いやがおうでも祝典のなかに神を感じさせる瞬間である。曲はここから次第に勢いをまし3つの主題が複雑にからみあうが、最後は全オーケストラで「神はわがやぐら」が高らかに演奏され、マルティン・ルターの偉業を称え、かつイエス・キリストの栄光を歌いあげるように壮大に幕をとじる。

おすすめCD ―――――
THE BEST

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[グラモフォン]

カラヤンはメンデルスゾーンのような絵画的要素の強い曲に非常な強みを発揮する人である。序曲「フィンガルの洞窟」の名演を残しているし、交響曲についても他の指揮者があまり挑戦しない1~5番の全集としてリリースした。1番からの全集としてメンデルスゾーンを聴くとき、私たちがまず感じるのが、それぞれの曲の印象が異なっているということである。このそれぞれの印象を的確にとらえ、その曲がきわだって聴こえるオーケストレーションと録音方法をとるところがカラヤンの偉大さである。
5番の場合、曲のいたるところにでてくる繊細なpp。第1楽章冒頭や「ドレスデン・アーメン」、また第3楽章と、それぞれにニュアンスの違う弱音をカラヤンはみずから磨きあげたベルリン・フィルの美しいppを駆使して気高く鳴らせている。またこの曲のもうひとつの特徴としてするどいリズムも要求されるが、カラヤンはそれを、ティンパニー奏者に固い木製のばちでたたかせることで曲に躍動感を与えている。特に第1楽章終結部や最終楽章終結部で高鳴るティンパニーの音は、聴いているだけで強い信仰心を呼びおこさせずにはおかない。「宗教改革」の模範的な演奏として名高い名演奏である。

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