「タイタニック」は大ヒットもしたし、製作費の限りを使ったセット、CG(コンピュータ・グラフィック)の凄さから見るべきところも多いのですが、パニック映画というよりラブ・ストーリーでした。
ここでご紹介する「ポセイドン・アドベンチャー(The Poseidon Adventure)」は、タイタニックより30年近く前に作られたものですが、今みてもパニック映画の最高峰の1つだと思います。タイタニックと違いラブロマンスは殆どありません。あるのは、運命共同体となった1人1人の友情、愛です。人間が極限に置かれたときにどういう行動をとるのか、とってしまうのか非常に考えさせられます。もちろん、アクションシーンも当時としては巨費を投じて作られていますので、今みると、稚拙な点もありますが手抜きは全くありません。
さて、この映画は一般の映画にしては珍しく主役が牧師です。実はご覧になられた方も憶えていらっしゃらないかもしれませんが、牧師は2人登場します。1人は先のジーン・ハックマン演じる主役の牧師。もう1人は最初に登場した時にジーン・ハックマンと議論、というより批判されていた牧師(ポセイドン号専属?のチャプレン)です。チャプレンとは特定の学校、病院、ホテル等の教会以外で働いている牧師のことです。
話が前後しますが、「牧師」はプロテスタントの教会で使われる職制で、カトリックでは「神父」に相当しますが、「牧師」と「神父」の違いは呼称の違いだけでなく位置付けが大きく異なります。例によって、この辺の詳しいことは省略させて戴きます。
話を戻しますが、牧師とチャプレンとの会話で、ジーンハックマンはこんなことを言っています。
「ひざまずいて神に祈ればすべてうまくいく?」
「ばからしい」
「祈っても、真冬のボロ家が暖かくはならん」
牧師でもこんな過激なことを言う人は滅多にいませんが、行動力のある牧師だということをここで印象づけたのでしょう。また、船上で行なわれた礼拝でも
神はお忙しい
人類に関する計画はあまりに遠大だ
だから個人が神を求めても無理
苦しい時に神に祈らないこと
内なる神に祈れ
神が求めるのは勇者だ。臆病者ではない。
神は努力するものを愛する。
戦うのだ、人のため愛するもののため
内なる神も一緒に戦ってくれる
と説教はヒートアップしています。こういう説教は一般的にというよりクリスチャンの中でも、受け入れ難いところがありますが、間違っているとも言い切れません。解釈が分かれるところです。というのは、
ローマ信徒への手紙:3章28節
なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
とありますが、一方
ヤコブの手紙:2章24節
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
と戒めています。教会では「信じるものは救われる」を強調して「ヤコブの手紙」はあまり説教されることはないようですが、それはこの2つの箇所を矛盾なく説明することは難しいからだと思います。ここもどなたかご教示戴ければ幸いです。
(ここからラストのネタばれになりますので注意)
さて、大波によって沈没が確実になったときに救助を待つ方が良いといったチャプレンの意見に従った人々は早々に水に飲み込まれてしまいます。この行動的な牧師についていった人々はその場では命拾いしますが、モーセがエジプトからイスラエルの人々を脱出させたときのように次々と困難が押し寄せてきます。1人1人が助け合いベストを尽くすのですが、1人減り、2人減りそして最後に主役の牧師までが犠牲となります。
もうすぐ助かる可能性のある目的地(プロペラ近くの船底)につくというのに、熱い蒸気で行く手を阻まれたときに牧師は、自ら助からないのが分かっていながら弁を締めにハンドルに跳び移ります。牧師の最後の言葉です。
私たちは神にたよらずここまで来た
助けは請わない。邪魔するな
何人生贄(いけにえ)がほしいんだ
この場面で涙を流さない人はいないでしょう。
2006年にこのポセイドン・アドベンチャーのリメーク版『ポセイドン』が公開されましたが、ヒューマンな部分はほとんどなくなりアクション、アドベンチャーの部分だけになっていたのは残念。キリスト教との関連性もありません。唯一あるとしたら登場人物の一人が「クリスチャン」という名前だったことぐらいでした。^^;
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