今ではあまり聞かれなくなった“SF”作品がこの“コンタクト(Contact)”。スターウオーズに代表される荒唐無稽の未来アドヴェンチャーのものは山ほど作られていますが、真に「科学的な」映画は、この「コンタクト」と先にご紹介した「2001年宇宙の旅」だけではないでしょうか。もちろんエンターテインメントとして地味ですがSFXも使われていますし、やはり「ありえないような」設定もでてきますが、出来る限り現代の科学水準から逸脱しないような作りになっています。むしろ人類の究極の問いである「なぜ、我々はここにいるのか、我々はいったい何者なのか」ということを考えさせる表現方法としてSFを使った作品という方が正しいかもしれません。
例によって“Gospel in Movies”の視点でのチェックポイントを挙げていきましょう。主人公は幼い頃から父の影響を受けてアマチュア無線をして、さまざまな地域の人とコンタクトを取ることを趣味として育ち、それの延長線上で天文学者となったジョディ・フォスター演じるエリナー“エリー”アロウェイですが、もう一人重要な人物が登場します。最初エリーと会ったときは、神父になりかけたジャーナリスト、その後数年して再会した時には大統領の宗教顧問というエリーに大きな影響を与えるパーマー・ジョス(マシュー・マコノヒー)です。宗教顧問という役職が実際に存在するのかどうかも浅学なので知りませんがとにかくこの映画の中では、政府としての判断に大きな影響力を与える要職として準主役に宗教関係者が登場します。彼がテレビ出演したときのインタビューの答えに、この映画のテーマが語られています。「我々人間は、科学技術の力によって本当に幸福になれるのかどうか」「確かに生活は便利になった。それと同時に空しさも感じる。今ほど孤立し孤独を感じる時代は他にはない」「我々は人生の意味を探している。物欲を満たすことによって空しさを紛らわそうとしている。これでは、救いがない。」物欲だけに囚われて、精神にポッカリあいた穴を埋めるのが「宗教」ということなのでしょう。
エリーは上司に反対され予算をカットされても独自にパトロンを探して、地球外生物を探し続けてついにVegaからメッセージを受信します。そのメッセージを解読して宇宙船を作りVegaに向かうことになります。それに搭乗する人物を世界各国から決めることになり最後まで候補に残ったのが、あれほど研究に反対した上司のドラムリンとエリー。第一発見者であるエリーは最右翼でしたが、ジョスもメンバーである選定委員会での最後の聴聞で、ジョスが「神を信じますか?」とエリーに質問します。エリーは「私は科学者として実証主義をとっています。神の存在についてはデータがないので信じられません」と答えてしまいます。委員会は、人類の95% がなんらかの形で神の存在を信じているのに、その人たちの信仰を無視するエリーを選びませんでした。ライバルのドラムリンは「人類の知性と信仰を誇りに思っている。我々人類には長い年月をかけて大切に守ってきた神の恵みと御心がある。その神を裏切るような無神論者を人類の代表として送り出すわけには行かない」と言って選ばれます。ここが映画の一番のポイントだとは思いますが、エリーでなくとも、多くの人が「無心論者」である我々日本人にとっては納得しがたいものですが、アメリカ社会では当然の選択なのでしょう。「95% が何らかの形で神の存在を信じている」というのは何を根拠にしたのかわかりません。世界の数 %は確実に占めると思われる仏教には、神はいないし、また宗教とは無縁と思われる日本でさえ、各宗教団体の人数を合わせると2億人という集計がでるほど、実態がよくわからないものなので95という数字は?です。
映画は一転してドラムリンが乗った宇宙船は狂信的なテロリストにより破壊されてしまうのですが、エリーに援助をずっとしていたハデンが予備に北海道で作っていた2号機にエリーが乗り旅立つことになります。エリーは、実際にVegaに到着した実感を持って帰還したと思うのですが、何故かその記録が全く残っていない。地球にいた人にはただエリーの乗ったカプセルが落下しただけの映像が残っただけで完全に失敗と思われてしまいます。調査委員会に証言したエリーは「(行ったという)証明も説明もできません。けれど、私の全存在がこれを事実だと告げているのです。」と証言をしました。「データがない」ということで神を信じないエリーが、データのない事実を信じてくれと叫びます。
最後にジョスがまた言います。 「アロウェイ博士とは科学と宗教との違いこそありますが、目指すものは同じです。心理の探求。僕は彼女を信じます。」と。
無限の宇宙を見ながら宗教と科学、神の存在について思い巡らせみましょう。
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