天国から来たチャンピオン

Gospel in Movies

Heaven Can Wait

「もし、生まれ変わることができたら、何をしますか?今までと同じような人生を歩みますか?全く別の人生を歩みますか?」こんなことを一度や二度は誰でも考えたことがありますよね。「平凡が1番、スリルは求めない」と考える人も多いと思いますし、イチローのように野球の才能があれば「メジャーリーグで活躍したい」とか、ジョージ・ソロス氏のように「投資で莫大な資産を持ちたい」とか、あるいは政治家になって「国を動かしたい」等など色々あると思います。この映画の主人公は、せっかく人生をやり直すことができたのに、元のフットボールの選手に何が何でも戻ろうとします。ちょっとストーリーを紹介します。

有力なアメリカンフットボールチームのクォーターバック、ジョー・ベンベルトン(ウオーレン・ビーティ)は自転車に乗っているときにトンネル内で交通事故にあってしまいます。本当は死ぬことにはなっていなかったのに新米の「天国の使い」のせいで、天国へ連れて行かれてしまいます。天国の中継地点でそれが間違いだったとわかって地上に戻って元の体に戻ろうとしますがすでに自分の体は火葬されてしまっていて元に戻れなくなっていました。そこで、使いの上司、ジョーダンから別人の体なら戻ることができると提案されてサーカスの芸人、レースドライバーなどを紹介されますが、目標にしていたスーパーボールに出場するには、誰も適していません。しかし、ある美しいイギリス女性との出会いにより財界の超大物になることに。お金はいくらでもあり、何不自由のない生活を送ることができるのに、あくまでスーパーボールに出場することに固執します。そしてなんとか移り住んだ体を鍛えてフットボールができるようになりますが・・・・。

さて、1978年のこの作品、「天国から来たチャンピオン(Heaven Can Wait)」原題は“HEAVEN CAN WAIT” 正しいかどうかわかりませんが、映画の内容を考えると「天国は待ってくれる」でしょうか。これでは何だかわかりませんね。チャンピオンとなっているのは、実はこの作品、41年に上映された「幽霊紐育を歩く」のリメークでそのときの設定はフットボール選手でなくボクサーだったのでチャンピオンにしたのでしょう。ストーリーはここまでにします。

Gospel in Moviesは、今回この「天国」について書いてみようと思いましたが例によって言い訳です。いざ書こうとしたら生半可な知識ではとても書くことができないことがわかりました。まず、今日本における主流の聖書である「新共同訳聖書」にはそもそも「天国」という言葉はでてきません。替わりに「楽園」「神の国」「御国」、「天の国」等で記述されています。これらの違いを説明するのには私には力不足ですがとりあえず、聖書から該当箇所を引用しましょう。

ルカによる福音書:23章43節
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

マルコによる福音書:10章24節
10:24 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。

マタイによる福音書:6章10節
6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。

天国=楽園と考えている人は多いと思いますが聖書的には単純ではないですね。「天国から来たチャンピオン」では、天国への中継地点がでてきます。中継地点で本当の天国行きのコンコルドのようなジェット機に、地上から連れて来られた人々が乗り込むのですが、誰もうれしそうにしていませんから映画でも天国は楽園と単純に考えていなかったのでしょう。ここで、取り上げた3節のそれぞれの解釈はなんとなく分かるのですが、自信が持てません。後日勉強してから、改めて書くことにします(本当かな?)

ともあれ、この映画のように間違えられて、天国へ連れていかれるのは困ります。でも間違えられても、自分で自由に生まれ変わることができるのなら、それもいいかもしれません(^^ゞ

なお、2007年に日本テレビ系列でオンエアーした「ドリーム☆アゲイン」は、ほとんどこの「天国から来たチャンピオン」と同じ設定(ドリーム☆アゲインは野球選手)です。


« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA