グスタフ・マーラー:交響曲第4番 ト長調「大いなる喜びへの讃歌」

Gospel in Classical

♪ 鑑賞Time

第1楽章「ほどよいテンポで、急がずに」

曲は、鈴とフルートによって刻まれるリズムの序奏に始まる。この開始は子どもの世界の幕明けにふさわしく、いわばサンタクロースが鈴を鳴らしながらやってくる情景を思い起こさせる。続いてヴァイオリンが歌いだす親しみやすい第1主題に始まる。ヴァイオリンのフレーズが終わったかと思えばいきなり低音の弦楽器が思い身体を弾ませるように出てくるところにマーラーの多重人格性を垣間見ることができる。第2主題はチェロによって表情豊かに歌われるもので、第1主題同様親しみやすい。この楽章は、最初の鈴とフルートのリズムがときどき戻ってくるなか、2つの楽章が巧妙に展開され再現されるソナタ形式をとるが、途中、主題が情熱的に演奏されたり、雪の情景を思わせるフルートの旋律が出たり、トランペットのファンファーレで葬送行進曲が演奏されたり(第5交響曲の前兆である!)と様々な世界がくり広げられる。最後はいったん曲が静まったところで次第にクレッシェンドし、規則正しい4拍子の行進曲風になって力強く断定的に終わる。とても気持ちのよい終わりかたである。

第2楽章「気楽な動きで、急がずに」

「気楽な動きで」という指定どおり、ホルンがこの楽章の基本リズムを示すと、ソロ・ヴァイオリンがジプシー風の主題を弾きはじめる。ときどき入るティンパニーの合いの手も一風変っている。第1楽章とは少し雰囲気の違う陰鬱な曲想である。速度はゆるいがスケルツォ楽章と思われる。このヴァイオリンの主題をA、はさまれるトリオの部分をBとすると、A-B-A-B’-Aという形になる。ホルンのファンファーレからがBの部分、トランペットの鋭いファンファーレからがB’である。

第3楽章「平安にみちて」

弦楽器の安らかなピチカートにのって、チェロが平安にみちあふれた主題を朗々と演奏する。そこに、これまた穏やかなことこのうえないといった感じの旋律をヴァイオリンが加える。この雰囲気が楽章最後まで続けられる。この楽章では、細かい説明を読むよりは実際に音楽を聴いたほうがマーラーの音楽を堪能できる。

さて、これまでの3つの楽章は、マーラーが本当に訴えたかった第4楽章への準備段階にすぎない。「すぎない」とはいいすぎかもしれないが、要するに「序」の部分なのである。これらの楽章を聴き手はどのように受け止めればよいのか? この交響曲の大テーマは「喜びと幸福にみちた天上の世界の生活を子供たちが地上に告げ知らせる」というものである。このテーマが第4楽章に集約されているわけだから、3つの楽章は地上の俗世とみてもいいのかもしれない。しかし第1楽章で子供の世界が、第3楽章で平安の世界が描かれており、第4楽章と多少なりとも関連性はあるわけで、この見かたでは多少無理がある。とすると一番納得のいく見かたは、第4楽章で言葉によって具体化される天上の世界を前3つの楽章が音楽で「暗示」している、というものではないだろうか。第1楽章で天上の世界の子供のような無邪気な雰囲気を描く、第2楽章の風刺的な楽想でしばし俗世を思い出させ、第3楽章で天上の平安な空気を準備しておいて、終楽章でいよいよ子ども(ソプラノ)にその具体的な生活ぶりを歌わせる、このように理解すれば第4楽章がさらに浮き立って見えるのである。

第4楽章「きわめて穏やかに」

クラリネットが小鳥のさえずりのような音形をもって穏やかな雰囲気を作ると、弦楽器はゆらゆらと揺れ動き雲の上を歩いているような感じを作りだす。イングリッシュ・ホルンがバグパイプのような音をだす。フルートがひばりの鳴き声をあらわす。ハープが日の光を投げかける。まったく牧歌的である。

ソプラノが静かに歌いだす。「私たちはいま天上の喜びを味わっている。だから俗世のことなど気にならない。俗世の騒ぎなど天上にいると少しも聞こえてこない・・・」と、まず天上の幸福な様子が歌われる。最後は少し物悲しくなり「聖ペテロさまが見守ってくださるなかで」という一節で終わる。

突然、騒がしくなり強いリズムが示される。このリズムは第1楽章の冒頭フレーズが変化したものである。いや、変化したというのは正しくなく、こちらの終楽章の方が主体的なので、第1楽章冒頭で暗示されていたものがこの最終楽章にきて形になった、と考えた方がいい。そしてこのリズムはこの楽章で再三あらわれるが、ソプラノの独唱と鮮やかなコントラストを形作っているのでしつこさを感じさせない。ソプラノが落ち着かない様子で第2の部分を歌いだす。「聖ヨハネが小羊を連れてくる。屠殺者ヘロデがそれを待ち受ける。私たちができることといったらその純粋な小羊を死に導くことくらい。聖ルカはなんのためらいもなく牝牛を殺してしまう・・・」。この第2節は何を訴えているのか? 子どもが自分たちの置かれている立場を示唆しているのか? それとも神の小羊、主イエスに対する罪の告白か? いろいろな解釈ができるが、ここも物悲しい歌で終わる。

またあの騒がしいリズムがやってくる。ソプラノが穏やかな第3部を歌う。「あらゆる種類の野菜がここ天上の世界には生い茂っている。上等のアスパラガスにインゲン豆、おいしいリンゴ、おいしい梨、おいしいぶどう酒だってある。なにからなにまで望みしだい・・・」。続いて物悲しい聖マルタの歌がある。

三度目にまたあのリズムがやってきて第4の部分になる。そののちイングリッシュ・ホルンがバグパイプの音をまねる。「この天上には音楽だってある。地上のどんなものも比べ物にならないような音楽が。・・・すべての感覚を喜びに目覚めさせる。そしてすべてを幸福にさせる。」曲は安らぎにみちたままだんだん静かになっていき、どこかなつかしい感じのイングリッシュ・ホルンとハープの響きを残して永遠のかなたに消えさっていく。

おすすめCD
THE BEST

クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)[グラモフォン]
この曲は聴者にとって親しみやすいばかりでなく演奏者にとってもスタンダードな地位を確立している名曲であるため、世界中の指揮者が好んでとり上げている。そのうえ、ソプラノ・ソロがそれぞれの持ち味を発揮する曲のため非常に多くの録音がある。だがいずれにせよ甲乙つけがたい名演の数々が市場をにぎわせている。

曲の性格を考えると、せっかくの「喜び」の交響曲なのだから、明るくのびのびした演奏を聴きたい。それにマーラーのダイナミズムや叙情性も楽しみたい。そして無邪気な声を響かせる歌手がよい。そういったことを考えあわせるとアバドの演奏が一番卓越していると思う。例によって個々の楽器を曇りなくていねいに鳴らしているし、しかも緩急と強弱のつけかたに第一級の腕前を感じさせる。例えば第1楽章の最後の部分に入るときヴァイオリンが第1主題を弱音で弾き始めるが、微妙なテンポのとりかた、スラーのつけかたなどには本当にぞくっとさせられる。ソロのシュターデがこれまた無邪気な歌声を披露していて、天上の野辺にあそぶ子どもそのものという感じで素晴らしい。

下に列挙したものもそれぞれに持ち味のある優れた演奏である。

まず、マーラースペシャリストといってもいいバーンスタインがグリストというソプラノと録音したものがある。録音年月は古いが、ホールの残響のおかげもありグリストの声が豊かに響いていてまるで天使の歌声のように聴こえる。もうひとつバーンスタインの指揮でコンセルト・へボウの演奏のものがあるが、こちらはヴィテックというボーイ・ソプラノを起用した意欲的なものである。

男性的でするどい4番を楽しみたいなら、ショルティ/コンセルト・へボウである。あまり感情的でない引き締まった肉体美がいい。
マゼール/ウィーン・フィルは叙情性を重んじた演奏である。第3楽章から第4楽章にかけて心血を注いだと思われる。ソプラノは現代の歌姫、キャスリーン・バトルである。

ドホナーニ/クリーヴランド管は自然な流れのなかにも金管楽器の鳴らせかたに思い切りのよさが見える好演である。他の指揮者のいろいろな演奏を聴いた後、オーソドックスな演奏を聴きたくなったとき、「やっぱりドホナーニはいい」と思わせる演奏になっている。

またワルター/ニューヨーク・フィルはモノ―ラル録音だが、歴史的名演奏としてお薦めする。常に人間性を重んじ、温かい演奏をし続けたワルター。そして直弟子としてマーラーから教えを受けていただけあり、マーラーがこの4番で意図していた「天上のヒューマニズム」といったような感覚をあますところなく描ききっている。ソロのハルバンともぴったりと息のあった演奏をしていて素晴らしい。

その他、名指揮者メンゲルベルクがコンセルト・へボウを振った濃厚な演奏があるということだが、これはソフトが見つからず聴いたことがない。また以前、FM放送でバルビローリの録音を一回だけ聴いたことがある。いい演奏だったので録音があれば皆さんにもお聴きいただきたい。

下もおすすめ(かっこ内はソプラノ・ソロ)

バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(グリスト) [CBS・ソニー]
バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(ボーイ・ソプラノ:ヴィテック)
[グラモフォン]
ショルティ指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(シュタールマン)[RCA]
マゼール指揮ウィーン・フィル(バトル) [CBS・ソニー]
ドホナーニ指揮クリーヴランド管(アップショー) [ロンドン]
ワルター指揮ニューヨーク・フィル(ハルバン) [CBS・ソニー]


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